佐藤明彦&響巳夏
Expert
~各界の開拓者より~
写真家であり、時に映像ディレクター、そして
アートプロデューサーとしてその才能を
遺憾なく発揮し
世界で活躍されている楠野裕司は今、この時に
何を語ってくれるのだろうか
ー写真家でありアートプロデューサーでもある楠野さん
ですが写真集を出す予定などはないのですか
楠野:僕は性格的に考えすぎる所があるのですけれど
最初に考えたコンセプトで撮ったもの全てを
作品化したいと思ってしまうので
写真集は出来ないんです。
皆からはそんなことを考えずに楠野裕司が今まで撮って来た、これが俺の写真という事で出せば
良いんだと言われるのですが、、友人のJ.A.シーザーにも(写真集を)ぜひ出すべきだと強く
勧められているのですが、撮った写真を燃やしたりして「恋と芸術」などと言って
逃げてきたというわけです。
ただ写真というのはカメラのレンズを通して作られる虚像で現実じゃないんですね。
被写体に影をつけたりして、ある種の意味をもたせるんです。
例えば料理の写真なんかは背面から光をあてて油を塗ってツヤを出したりし、
いかにも美味しそうに見せるわけです。
それは真実ではない嘘じゃないかなと思って、出来るだけ何にも手を入れない写真を撮ったのですが
そうしたら逆に批判されましたよ。
こんなの写真じゃないって(笑)
絵の世界は白いキャンバスに一本の白い線を引いても、その行為は芸術だと受け入れられる
そういう世界なんです。
芸術の価値観が違うんです。
写真は始めからカメラとレンズと言う機械を使って、フィルム通して
ほとんどニセモノを作っているんです。
これは本物ではないのではないかという葛藤が常にありました。
影をつけたりぼかしたりしてドラマティックな写真を作りあげないと名前は売れていかない、、
僕はもともと絵描きなんです。
芸術家になろうと東京に出てきたわけだから、何とか写真を芸術にしたいと思って
例えば写真を抽象化したり、意味の分からない物を撮ったりするようになったんです。
ギャラリーでの個展をやめて、写真を昆虫採集箱に入れたり、壁に埋めたりして
今で言うコンセプチュアルアートをやったんです。
写真に詩を入れたりしてね。
詩と言語と言うテーマでやったりしたんですが、今度は言葉の壁にぶつかってしまったしまったんです
僕は詩人じゃなかったので(笑)
今は写真も芸術だと受け入れられるようになりましたけど、70~80年代は写真と言う物は
数十年たつと劣化して消えてしまうので、そんな物は芸術じゃないと言う風潮が大半でした。
どうせ消えてしまうのなら、自分自身の手で葬り去りたいと思って、自分で写真を燃やしたんです。
ー当時としては画期的な美術館でパフォーマンスをなさいましたね
美術館というのは権威なんです。
ギャラリーでやればあちらも商売なので、売れる物という指向を受け入れなければいけないのですが
美術館でやれば、それはアートになるんです。
何でもないような物を撮っても、それを見せる空間やライティング、そしてお客を入れて
写真に絵の具をぶつけて、その様子を見せる。
そして見ている様子をポラロイドで撮って、だんだん写真が浮かび上がってくるのを
スクリーンに映し出したりしてね
ーまさに現代アートの先駆けですね、それを何十年も前に楠野さんはやっていたわけですか
今やっと時代が追いついて来たと思われませんか?
作ることが好きでしたし、いろんなしかけをやりました。
今あることを否定する。
否定が創造に繋がるんです。
肯定には創造はありません、私の友人達とも重要なのは否定だという話によくなりますね。
Facebookでも「いいね!」と肯定する人間が多すぎて、、
「ダメだね!」とか「なんで?」と言うのが面倒だから、頭を使わずに「いいね!」と言い続けて
知らぬ間に言語化されていく、、それがマインドコントロールに繋がって行くんです
まぁ日本だけでなく世界中すべてそうですが、、、、
ー芸術家というのは反体制といいますか社会に対していろいろな物を投げかける
と言う役割もあるように思いますが、楠野さんはどのようにお考えですか?
アーティストと言うのは否定の中に美学がなくてはならなん、と思います。
だから感性が必要になってくるんです。
僕は他人に路上観察しろと言うんです、そうやって周りをみまわすと
たまたま花が咲いていたり、あるいは枯れていたりするでしょう?
咲いている花だけが美しいのか?枯れている花が美しいと思う人もいるはずです。
人間には感情というのはありますが、感性というのは誰しも最初からあるわけではないように思います
それは学校に行って教えてもらったり、本を読んだりしたら出来る物ではないんです。
実際に自分で見たり、触れたりて体験してみないと育たない物なんです。
だいぶ真面目な話になっちゃいましたね(笑)
僕は話なんかしなくっていいんです、今までこんな事、誰にも話したりしていませんよ。
いろんな事をやってきて、それぞれに立会人という現場の目撃者はいますが、
それでも全部見ているわけではないから、楠野裕司ってこんな人だったの?と
ビックリされるかもしれませんね(笑)
ー否定が創造に繋がるー
楠野裕司、彼は時代に翻弄され、そしてまた時代を作ってきた。
人間だけが絵を写真を鑑賞し、音楽に耳を傾ける、、
芸術は我々に問いかける
何処から来て何処に行くのかと
アーティストとはその水先案内人なのかもしれない、、